学位論文紹介

B20型遷移金属化合物における異常ホール・ネルンスト効果

柴田 基洋

スキルミオンとはトポロジカルに安定な磁気欠陥としての性質をもつスピン構造である。 近年、らせん磁性体として知られるB20型化合物では、スキルミオンが周期的に配列したスキルミオン結晶と呼ばれる磁気秩序が発現することが明らかになった。 このスキルミオン結晶自体物理的に興味深いスピン構造であるが、スキルミオンが輸送現象に与える影響も注目されている。

一般に時間発展以外に電子の波動関数が獲得する位相をベリー位相と呼ぶ。 ベクトルポテンシャル中のアハラノフ=ボーム効果における位相もこのベリー位相の一つであり、伝導電子はベリー位相に対応する実効的な外場を感じて運動する。 スピンが互いに角度を持っているようなスピン構造上を電子が運動するときにも、波動関数はスピンの望む立体角の半分のベリー位相を獲得することが知られており、この場合のベリー位相は特にスピンカイラリティと呼ばれる。
スキルミオン結晶においてはスピンカイラリティはスキルミオンが持つトポロジカルな性質のために単位格子で積分しても有限に残る。 スキルミオン一個は仮想的な磁束量子一個の寄与を与えるため実効磁場はスキルミオンの面密度に比例し、その向きは印加磁場と逆向きであることが知られている。
この実効的な磁場は運動する電子にローレンツ力を与えるため、ホール効果には異常な寄与が現れる。この効果をトポロジカルホール効果と呼ぶ。 トポロジカルホール効果は代表的なB20型化合物であるMnSiにおいて実際に観測されている。 また、本研究室の金澤氏の研究ではMnGeにおいてはそのスキルミオン密度の高さから、MnSiよりも非常に大きいトポロジカルホール効果が観測された。

以上の背景から本研究ではB20型遷移金属化合物について主にホール効果とネルンスト効果の測定を行い、スキルミオン結晶が電気・熱の輸送現象に与える影響、及びスキルミオン密度とトポロジカルホール効果の大きさの関係について調べた。それらの中から以下ではMnGeについて行ったネルンスト効果の測定結果を紹介する。

図1にはMnGeについて行ったネルンスト効果の測定で得たネルンスト信号を示した。 30K以上の低磁場側で凹みのようなものが見られ、40〜100Kでは符号変化が観測された。 通常、ネルンスト信号は温度勾配と磁場の向きが決まっていれば符号変化は起こり得ない。 この符号変化はスキルミオン結晶上を運動する電子が印加磁場と逆向きの巨大な実効磁場を感じて運動していることを最も端的に表している。

図1 MnGeのネルンスト信号

図2には同測定から解析したMnGeの横ペルティエ伝導度と磁化の温度依存性を示した。 遍歴強磁性体における横ペルティエ伝導度はモットの関係式に従い、低温では温度に高温では磁化に比例する振る舞いをすることが知られているが、MnGeにおいても同様の振る舞いが見られた。しかし、6T以下の低磁場ではT=20-50Kの中温部に磁化に比例する効果とは異質の凹みが見られた。
図2 MnGeの横ペルティエ伝導度(左)と磁化(右)の温度依存性

本研究ではこの凹みを定量的に評価するため、モットの関係式を仮定して導いたフィッティングの式で横ペルティエ伝導度についてフィッティングを行い実効磁場を見積もった。 図3に見積もった実効磁場を示す。見積もられた実効磁場の大きさは30T程度であり、これは中性子回折で得られているMnSiのらせん磁性周期から予想される実効磁場40Tと同程度である。
図3 MnGeの横ペルティエ伝導度から見積もった実効磁場

以上のように本研究ではスキルミオン結晶が熱輸送現象に与える影響をネルンスト信号の符号反転という形で初めて観測し、横ペルティエ伝導度に関する定量的な解析により実効磁場を見積もることに成功した。